『宇宙のモノサシ・社会のモノサシ』

世の中には、宇宙の理で捉え易い事と、人間の都合で決まっている理で捉え易い事が同居しています。
どちらかが善でも悪でもなく、正誤も上下もありません。
けれども、なにを語るときであっても、それがどんなモノサシの、どのあたりで語ろうとしているのかをよく意識しないと、ややこしくなることがあります。
このブログは、自分たちの周りに存在しているややこしいことを整理整頓するための場所。「モノサシ」としたのは、「理」ほどかっちりさせず、ゆるやかに物事を捉えるため。(モノサシが湾曲することも、伸縮することもあるかもしれない。)
 
『宇宙のモノサシ・社会のモノサシ』の図は、「Skinner Waltzの現時点の視点」を感覚的に図式化したものです。
わたしたち自身この「宇宙のモノサシ」と「社会のモノサシ」の間を往き来して、「自分のモノサシ」を探っています。
ブログをご覧下さっている皆さんにも、このブログを旅するようにあちこち行き来して、「自分のモノサシ」を見つけていただけたらと思っています。
私たちのブログが、「現実社会を生きていくうえでのヒント」になることができれば幸いです。
 
『宇宙のモノサシ』…生きていく上で大切だけれど見逃されがち、価値が曖昧な尺度
ex) 宇宙、アート、自然、幼い子供の視点、こころなど。

真ん中にあるもの…生きていく上で大切で問題にもなりやすい、価値は曖昧な尺度
ex) 宗教(原始宗教とか)、哲学、文化、人間(関係)など。

『社会のモノサシ』…社会生活を営む上で必要不可欠とされている、価値がはっきり数値化しやすい尺度
ex)お金、仕事、経済、おとなの視点、など。

アートはここを横断しているイメージ。

嫉妬の奥底にあったもの

わたしが羨ましいと思うひとは、いい意味で使われる「オタク」と呼ばれるひとたちだ。その内容が

内藤礼「明るい地上には、あなたの姿が見える。」を観て。

2018.10.6の日記 わたしが内藤さんという作家の事を知ったのは約一か月前。今度軽井沢で

見た目?中身?

ずっと考えてきたことの一つに、どうして趣味(センス)が合う人と気が合わず、趣味が異なる人と話すと楽

みんな比べていた。

 世の中には「他人と比べるひと、とそうでないひと」というものが存在すると思っていたが、そうではなか

比べてもええやん。

「他人と比べるなんて愚かだ」というひとは、その時点で相手のことを自分より下に置いて比べていると思う

自分の醜さを許してくれるひと

結婚して10年経った。このごろやっと、夫を選んだことは間違いではなかったし、その理由が解るように

相手の地雷はどこにあるかわからない。

他人に言われて気になることや、自分が言ってしまい、忘れられないこと。それは腹が立つことでも、ずっと

母の針江だより

わたしの両親が終の棲家として選んだ場所は滋賀の湖北にある「針江」という湧き水が出る美しい村です。 

自分の見かた、他人の見かた。

わたしは自分の関心ごとや、社会に対しての問題提起、解決方法(できても、できなくても)を考えること

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