絵には時間がかかる

それぞれのアート

100枚描いて「いいな」と思えるのは一枚くらいだ。向いてないし、上手くもない。めんどくさいし、手は汚れる、描いても気に入らん。毎日、自分の絵って何、描くってなんだ?何を描いて何を描かないか…という終わりのない自問自答の繰り返しで右往左往。

 

だけど、100枚に一枚でもいいと思える絵があるなら、やめる必要はないと思えるようになった。描くことも自分と向き合うことも面倒だけど、自分の絵の描き方はずっとこんな感じで続いていくのだろう、ということだけは解ってきた。そして描くことそのものに意味があるということも。

  

絵を描きたいのかどうかさえ迷っていたときは、他人の言葉にずいぶん振り回された。みんな親切でいってくれてたと思う。だけど、わたしには「そのとき自分の聞きたい言葉」しか届かないみたいだ。

 

世の中の「得意なことをやりましょう」っていうのも、ビジネスだけのことを考えたら間違いではない。だけどモノ作りに関しては全く当てはまらない。

 

知人の「コラージュだけやればいい」「写真のほうがいいね」というのは、たいていそのひとが見たいものを言ってる場合が多い。余計なお世話だし、技法の向き不向きはあるといえど、いいと思える作品であればジャンルは関係がない。

 

正論をいうひとは「自分の作品を自分でジャッジしちゃいけない」「あなたの絵に対する価値観が全てではないし、視野を広く持たないと」といっていた。きっとわたしの気を紛らわすために言ってくれたんだろう。

 

わたしは誰かを喜ばせるために描くのではないし、自分がいちばん見たい絵が描きたい。そうやって自分で自分を認めるためにやるのだ。このことを忘れないでいれば、膨大な無駄だと思える時間もそうはならない。

そして「誰よりも自分を信じ、疑うこと」 (←映画『新聞記者』に出てきた科白、気に入った。)