届かない言葉。

ひとtoヒト

とある宴会で、言葉だけが完全に上滑りしている子供(女子高生)に出会った。

 

「友達なんかいらない、恋人も欲しくない!!」と豪語する女子高生。
周りにいたオトナ(おもにオッさん)たちが「君、かわいそうな人だね、
どうしてシアワセになろうとしないの?」と説得。オトナというのは、どうしてこう無神経なのだろう。笑

 

「気にしていません!」と精一杯の自己主張を繰り返す。必死で気にしていない、の言い訳の言葉が次から次へとペラペラ出てくる。この言葉の抵抗自体が、もうすでに気にしている。(笑)最初はちょっとオモロかったので、しばし見学していた。

 

この女子高生が必死に抵抗していたのは「友達が、大事なひとがいないこと=かわいそうな人=不幸なこと」と、決めつけるオトナの態度に対してだったのではなかろうか。

 

彼女の抵抗は、どこか嘘くさいものが多く、精いっぱいの見栄のようにも聞こえた。聞いているこちらも、面倒くさくなるような内容だった。だんだん話の内容が彼女の不幸な生い立ちにまで至った、ということもあり、茶化せない空気になり、そのうちオトナたちは彼女をコケにせず、じっくりと丁寧に話を聞いていた。

 

彼女がこのまま自分の本心や、素直に誰かの言葉に耳を傾けることをしなければ、社会人になったとき、おそらく他人を上手に頼ることができないだろう。それは、きっと本人が辛くなるだろう。ということをオトナたちはよく知っている。そして、彼女の必死の抵抗や、生い立ちが、彼女のせいだけではなく社会の側にも、責任があるからということにオトナたちは気付いている。

 

いつか、オトナになった彼女が「誰もわたしのことを解ってくれない!」と引きこもって精神を病んだり、 自暴自棄になり街中で刃物を振り回したりしないことを祈る。もちろん「誰かが自分のことを100%解ってくれる」ということはないし、気の許せる友人がいても、孤独感がなくなることはない。

 

けれども高校生のときに、自分の話を優しく聞いてくれたオトナが、自分のまわりにいたことくらいは、忘れないでほしいと思う。