古いのはわたしのアタマだった。

それぞれのアート

自分の作品が古いなーと思っているのに、それを変えられないことでずっと、悩んでいた。
 

わたしは、アナログで作ったものをデータとして取り込んで、そこに少しばかり手を加えるということもしている。データで作ったものは、やり直しが何度もきくから最終段階で、割と納得がいくものが完成する。そのかわり、一発で決めた緊張感のある線は作れない。またアナログの画面で何度もやり直した感じの痕跡が残らないから、層が重なっていかない薄さもある。だから、ずっと最終段階がデータで出来たものは、仕事で納品するもの以外(イラストレーションの仕事はアナログで作っても基本はデータ納品)は発表することはなかった。 

 

簡単に作ったデータ作品をプリント出力して、フレームに入れて売る。当然、紙以外のテクスチャなどない。そういうものは、本物の作品じゃない気がしていた。何か、ズルしている気がしていた。アナログや手触り感のあるものがどこか上のような気がしていたし、その方が売れるのでは?という気もしていた。実際にミクロ単位で言えば、物質としての強さはあるのかもしれない。だけど、自分のアナログ信仰の強さのせいで、データで出来た自分の作品を販売することのウサン臭さがどこか付きまとって、自信にも繋がらなかった。 

 

わたしはアナログで作ったものを、作品として加工することの方が「楽」というのがある。だから、「楽をしてはいけない」と「作品づくりは楽しくなくていけない」というこで葛藤する。デジタルは自分が思ったように作品できる。その心地よさや、レイヤーで簡単に透ける層が作れることも魅力的である。また大好きな写真を利用することだって可能なのだ。写真と絵画を比べて、どうしても絵画の方が上だという気持ちもずっと捨てられなったから、(そもそも比べるものではないのに!)アナログのみの絵画に拘り続けてしまったのだ。
  

すんなり、作品が作れないことにアナログの魅力があるし、そこに意味があることは事実だ。ただ、ビジネス上でそれを気にしすぎていると、中々気に入ったものができず、自分がほんとうに無能な人間でしかないように思えて、作品づくりが嫌になってしまっていた。それでは本末転倒だ。

 

 

印刷物や映像作品だって、データで成り立っているのだ。それだって、大好物なのに忘れていたのだ。またそれらのアートとしての売り方を知らなかっただけだ。それをもっと、もっと深めればいいだけの話だった。 

 

どちらが上とか下ではない。日本ではまだまだデータに対しての嫌悪感があるし、売れないのでは…という思い。アナログ信仰の強い古いタイプのファインアート系や工芸系ギャラリーという場所にいるとそうなってしまう。現代アート、テクノロジーアート、音楽シーンの現場にいけば、わたしの懸念していたことなど、もうとっくに忘れ去られるくらいの話だろう。 

 

 

古かったのはわたしの絵じゃなくて、わたしのアタマの方だった。わたしのアタマこそ、新しい方向性へ移行してゆくべきだ。よくやくデジタルでも発表する気が湧いてきた。