わたしの1は、彼女の2。

いろいろな視座

2018.7.27の日記 

1 or 2


最近、一と二について考えている。
末の娘の髪を結うとき、彼女は私にこんな風にお願いをする。

後ろに’一つ’で髪を結ってほしいときは「’ニ’がいい」と。
そして両側’二つ’にわけて髪を結って欲しい時には、「’一’がいい」と。


最初私は不思議だった。どうみても1つ(ポニーテール)なのに2、どうみても2つ(ツインテール)なのに1と彼女は自分の意見を変えようとしない。



でもある日気がついた。彼女の身振りが目に留まった時だった。
彼女は1つ結び(ポニーテール)をして欲しいとき、両手の平を頭の脇から後ろに持ってきて束ねて「2」といっている。2つ結び(ツインテール)にしてほしいときは、両手をそれぞれ頭の両脇につけて「1」といっている。



つまり、彼女にとって、髪を結うとき、その見えかたというよりは、髪がどのようにして束ねられているかが問題で、彼女からすると、ポニーテールは両側から髪を束ねているから(彼女には自分の右左で2つなのだろうとわたしは思う)、あわせて2。ツインテールは、右と左、それぞれ分かれたままだから、1。



と考えると面白い。



加えて、末娘の頭には“つむじ”が二つ、横並びになっている。



1と2。

わたしたち大人には当たり前になっている見えかたと数字の関係性が、子供にとってはまだ制約のない世界なのかと、末娘をみていて関心した。

まぁ、単に間違えともとれるけれど。末娘があまりに頑固に意見を変えないものだから、「これは翻訳しなければ」と必死にわたしが解釈した結果、ともいえる。

とらわれずに世界をみれば、わからないことはわかるようになるのかもしれない。

子供は宇宙的な視座を大人に取り戻させてくれる貴重な存在、なのかもしれない。