グァテマラのマリアとの記憶
居場所と境界線
2018.8.22の日記より
わたしのおもうアートは
artの原義にちかいのかなと。
日本の工芸もそうかなと。
直感と、
知識と、
技術と、
行ったり来たり。
日本に美術だったり工芸だったりが
もちこまれたことだったりとか。
離れてはまた戻り。
すきだからだけでいいじゃない、とおもったり、
でもあれどうしてなんだっけ、と考えにふけったり。
大抵はただただつくってるけれど。
2018年の夏、海外のアーティストとワークショップをして、二人で秘密の展覧会をひらいたことを思い出す。
彼女はグァテマラのアーティスト。マリア。
彼女は自分の活動領域はコンテンポラリーだといっていて、だから作品のコンセプトをものすごく考えるのだけれど制作の始まりはいつも直感的で、コンセプトは長いと一年かけて練るのだとか。ちなみに彼女ヨガの先生もしていた。彼女がいってた印象的な言葉。
「わたしは何よりスピリットを大切にしてる。わたしは日本人のスピリチュアルなところを尊敬してる(胸に手を当てて)。イギリスに留学してた時期があるんだけどあっちのアーティストたちは大抵マインド。(頭を指差し)
わたしが日本に何回か来てて感じるのは日本という国がそもそもスピリチュアルなの、スピリットのことを考えなくても、ここで生きてる(胸に手を当てて)だから日本人は日本人であればいいのよ。
そこを大切にすれば、おのずとオリジナリティのある作品は生まれるわ。手を動かし、自分がなにを感じたか考えたかを見つめれば、それがコンセプトになるのよ。マインドが先行する作品はコンセプトやプランは素晴らしくても出来上がった作品を見るとギョッとするものも結構あってね。(目を真ん丸にして口をあんぐり開けて見せてながら)」
と。
「で、日本人のアーティストたちは作品が素晴らしいのにコンセプトを持たない人が多すぎる。世界にはオリジナリティはないのに技術だけはもっててすぐ真似する輩が大勢いる。しかも、英語圏の人間は論理を作るのがうまい。危ないのよ。コンセプトがはっきりしているほうが勝つの。言葉に出来るほうがオリジナルになってしまう。
この民族の素晴らしさ、スピリットを強味にかえていってほしい。英語圏の人間とは違う方法でね。どうしたらいいかしらね。」
と。あとネイチャーが大切ともいってた、つまり素材それ自体がオリジナルだから、わたしはいつもそのエネルギーを損なわないように心がけてると。
たくさん話ながら、手を動かしながらわたしと彼女は「物語」をしながら作品をつくりました。
彼女もわたしも、英語が「得意」というわけではないから、お互いの「行為」やそこから「成り立ってくる風景」でコミュニケーションをとっていた。
2018年のこと。今は2020年。随分前のことなのに、割合高い頻度で、わたしの意識をよぎる思い出。
目まぐるしく過ぎてく時間のなかでも、ひっかかっていることはいくつもあって、時間がたてば、絡まってるものがゆるゆる緩んで新たな道筋に見えたりすることもある。
絡みっぱなしなことも多いけども。
ぐるりぐるりと二年経って此処にまた戻ってきたことは、
今のわたしにとってどんな意味があるのだろうと考えている。